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主日礼拝ビデオ
主日御言葉  

5.18主日御言葉  「避け所」(日)

5/18/2014

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避け所  (Ⅰサムエル21:1~9)

 「避け所」と題しました。文字どおり避ける所、避難所です。避け所に避難するということは、何かから逃げたいか、安心安全を得たいから避難するんです。日本には江戸時代に駆け込み寺という所がありました。当時、夫からの離縁状でしか離婚ができなかった。女性が何の権利もなかった時代、また、今で言うDVに女性たちが苦しんでも、耐えるしかなかった時代に、この寺だけは妻からの離婚請求を受け付け、保護したことから 女性たちは最後の手段としてこの寺に逃げ込むことができたそうで、こんな名前がついています。夫と話し合っても解決できず、女性がこの寺に駆け込もうとするのを連れ戻そうと、夫が追いかけてきたりしたことも、度々あったそうです。面白いことに、女性が必死で逃げ込もうとしても、夫に追いつかれそうになる、その時,体の一部でも寺の門に入れば、女性の勝ち。また、履いている草履を投げて、それが門の中に入っても女性が入ったとみなされる。持っている箸を投げて門に刺さっても大丈夫、夫は妻を連れ帰ってはならない、というルールがあったそうです。駆け込み寺は当時の苦しむ女性たちの避難所でした。このように 避け所は避難すべき人、逃げたい人を守る安全な場所です。日ごろ忙しくストレスの多い生活を送っている人は、趣味が避け所となっているようです。ある人はスポーツ、ある人は旅行、買い物、ドラマ、、、、などなどそこでストレスを発散して、再び仕事や学業に取り掛かるんです。皆さんはどこに避け所がありますか?詩篇46:1には「神は我が避け所」と書いてあります。聖書の中にも避け所がある!と書いてるのです。苦しむ時そこにある助け、つまり避難所は神ご自身である、と。今日はこの礼拝という避難所で、この世の荒波から逃れ、神からの癒し、力,解放を頂き1週間を始めましょう。


1御言葉の背景。今日の聖書の御言葉も、ダビデがノブの祭司アヒメレクの所に逃げ込んだところから始まります。初めて来られた方や、来出して間もない方が多いので、今日読んだ聖書の箇所の背景を説明しましょう。イスラエルの最初の王、サウルはだんだんと神に従わなくなり、神の霊が離れ、神は他の者を王にすることに決めました。それが今日聖書に出てきたダビデです。ダビデが次の王に選ばれていることを知らないサウルは、自分の体調の悪い時に琴を弾いてくれる者を家来が連れてきてくれました。ダビデでした。ダビデの琴の音はサウルを癒し、回復を与えたのでサウル王はダビデを自分の道具持ちとして いつもそばに置くようになったのです。若いダビデは、その後も王と国にとって良いことをしていきます。敵であるペリシテ人の大男ゴリアテを倒して勝利をもたらすなど、どこに行っても神が共におられるダビデには勝利と祝福がついてきました。そして地位も上がってきました。道具持ちが戦士たちの長となりました。最初はダビデを喜んでいたサウルでしたが、国民も、自分の家来たちも自分よりもダビデに心が向かい、慕っていることに気づき、ダビデが自分の王位を狙っていると疑い、憎むようになりました。その憎しみは殺意にまでなったのです。サウルを倒して自分が王になるなど、考えてもいないダビデは、疑いが大きくなってダビデの命を狙うようになったサウルから、逃れるようになりました。サウルは多くの兵を遣わして、ダビデを探し、殺そうとしたのです。今日の聖書は、そんなダビデがノブの地に逃げたところです。


2ダビデが逃げ込んだところ。ダビデはサウル王と その軍隊が自分の命を狙っていることを悟り、命からがら逃げ出しました。そして、逃げ込んだところは聖所、つまり神の前。様々な状況に追いやられても、人々からの攻撃を受けても逃げ込むところがある。神の前に逃げなさい。他の所ではなく、一時的な安心を与える快楽や娯楽ではなく、神のもとに入り込め!そこでは、あなたを受け入れ、必要を満たし、守ってくださる。詩篇23:5ダビデはその時必要だったパンと剣をもらいました。神はその人の必要を知り、満たして下さる。また、聖書ではパンも剣も み言葉を意味する。(マタイ4:4霊のパン、エペソ6:17)御言葉で養い、御言葉で再び出て行って戦えるようにしてくださいます。


3剣のもう一つの意味。剣は御言葉と述べましたが、剣には別の意味もあります。ダビデが手にした剣は、かつて少年だった時、大男ゴリアテを倒した時、ゴリアテが腰に差していたものでした。ダビデはこの剣を見て、思い出すべきことがありました。若い青年だったダビデ。しかし、神を愛し、神のために勇気と信仰を持って立ち上がったダビデ。あの時、ダビデは剣でゴリアテを倒しましたか?いいえ、信仰と小石だけ。神様を馬鹿にしたゴリアテに、神の名前で立ち向かい、神の名誉のために 羊飼いが獣を追い払い、やっつけるための小石数個を持って 小さな体で飛び出していったダビデ。あの時のように、剣に頼るのではなく、信仰で勝利した事を 神は思い出してほしかった。今のダビデとは立場も状況も違うが、あの巨人ゴリアテを倒した信仰、神への愛、神からの守りと力を この逆境の命の危機の時に思い出すための剣でした。なぜならダビデは2~5節で祭司に嘘をついています。信仰が弱り、自分を守り、自分が生きるために嘘をついた。大人になったし、地位も立派になったが、あの頃の信仰ではなくなっていた。このダビデの嘘のために後に85人の祭司がダビデをかくまったとして、サウルの命令により殺されてしまいました。(Ⅰサムエル22:9~23)ダビデが嘘をつかず、事実を告げていたら、祭司アヒメレクも祈りと知恵を持って後の対応ができ、85人の命は助かったかもしれない。そんなダビデとは対照的に、ダビデの嘘を知らなかった祭司アヒメレクは、律法を犯してまで彼にパンを与えた。(レビ24:5~9祭司しか備えられたパンを食べられない)律法を守ることよりも、ダビデの命を守ることを大切とし、愛と憐れみを施し、真の律法を行ったアヒメレク。(マタイ12:7では、イエス様が真の信仰の行いについて語られている)神様は、私たちにも この愛と憐れみを注いでいて下さいます。真の愛と憐れみを与えてくださる神の前で、また、神が与えてくださった私の周りの人の前で嘘を付いたり、裏切ったりするようなことは決してないように。あなたの嘘をドエグのような悪魔が見て、聞いて(7節)罪を犯させ、その結果を刈り取らせようとしています。(ガラテヤ6:7~8)


4主に逃げ込む恵み。ダビデは神のもとに逃げ込んだことにより、過去の信仰、若くても、弱くても神にすがって勝利したことを思い出し、神に立ち返ることを学んだ。ダビデは多くの苦難困難があった人です。しかし、彼が詠んだ多くの詩篇には神に従い、神から力をいただき、勝利したことが記されています。以前、信仰によって苦しみや困難、問題の解決を体験したことがあるなら、今一度 神の前に出て、その時の信仰、神の恵み、守りを思い起こし、再び力を得てこの世の敵に向かっていこう。以前よりも信仰が、霊が強くなっているはず。まだ信仰がないし、神もわからない人は、神を信じて神が生きておられることを体験してみましょう。祈ってみてください。あなたは神ですか?本当にいらっしゃるのですか?私の問題を解決し、私を正しく導かれるのですか?神様は真実な求める心で祈り人の祈りを聞いてくださいます。


結論 全ての人の一番確実で安全な避け所は神です。どんな時も神の前に逃げましょう。苦しい時、辛い時。信仰がなかったとしても、弱くても。神の元に来て祈り求めよう。避け所は一時的な所。避難所に住んでいる被災者の方々で、長くそこに住みたい人はほとんどいません。自分の居場所に帰りたいんです。神の避難所も、神が守り、癒し、力を与え、再び送り出すために私たちを養生(心身を整え癒し健康にすること)する所。力を頂けるから、毎日この世で守られて働くことが、学ぶことが、生きることができます。そして、神様が置いてくださったところに居ることができます。一般の避難所と神の避け所の違いは、神の避け所は私たちが「主よ」と呼ぶ時、いつでも行くことができること。困ったときや辛い時だけでなく、神と深く交わりたい時、神に感謝したいとき、いい時も悪い時も、平安な時も困窮した時でも。いつでも私達のために開かれている避難所。いつも この神のもとに帰り、私たちが置かれた所で人々とこの世に神の恵み、力が流れ出ますように。そのような皆さんでありますように。


 

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