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主日礼拝ビデオ
主日御言葉  

幻 (創15:1-5)

2/22/2014

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神様がご自身の御心を啓示する方法の中の一つが幻である。神様は夢と幻を通してご自分の御心を教えてくださり、将来の事を教えてくださる。民12:6- 

1.幻は霊的な体験である。幻は想像或いは幻覚とは全然違う。幻は霊的な体験として神様が自身の民に見せてくださる。なので、自分が見たいからと言って見れるものではない。神様が霊の目を開かないと見ることができない。イザヤは救い主イェス様について一番多く預言をした預言者である。そしてその預言通り全てが成就された。イザヤが誰も知ることができない未来の預言ができたのは幻を見たからである。イザヤが聖殿で祈っている時に、霊の目が開いた。イザヤ6:1-2-彼は栄光に満ちた神の御国を幻の中で見た。彼の働きはこの霊的な体験の本格的に始まった。力ある神の働きをするためにはこのような霊的体験が必要である。また聖書の中で一番難解な本が週末の事を記録したヨハネの黙示録である。人間のどんな知識、知恵を用いても黙示録は解釈することができない。このように難解な本をヨハネがどのように書くことができたのか?幻を見たからである。祈っていたヨハネの幻の中で開いた門を見た。黙示録4:1-この門は肉眼ではみることができない、望遠鏡でも見ることができない。彼の霊の目が開かれ幻の中で見た。例え、幻を見なかったら、ヨハネも霊的な事を知ることができなく、黙示録も書くことができなかったはずだった。幻を見て、啓示されたからこそ終末の事を預言することができた。私達の信仰も同じである。真理の言葉とととに霊的な経験が同伴されなければならない。霊的な目が開き、胸で神様を体験する霊的な体験が必要である。ヨハネ1:17-今日も神様は御言葉とともに幻と夢を通して語られる。行2:17- 最後の時に神様の聖霊を与えるという約束である。聖霊が臨む時に三つの現象が起こされる。子どもは預言をし、青年は幻を見、老人は夢を見る。未来に対する神様の御心と計画を預言と幻、夢を通して教えてくださるという意味である。つまり預言と幻、夢は神様の御心を教えてくださる通路である。今日も多くの聖徒達が預言、幻、夢を通して主の導きを受けている。霊的な秘密が余すとこ

主日御言葉

ろなく現れている。数千年間終末の事件は誰にも知られてないまま封印されていた。ダニエル12:4-封じておけというのはまだ知らせる時ではないから今は秘密にしなさいということである。誰もダニエル書を正しく理解することができなかった。しかし、終末の時に全ての秘密が全てが解ける。600年後神様はヨハネにこのよいうにおしゃった。黙22:10-最後の時に霊的な秘密が解けて、現れることを語られた。今がまさにその時である。今世界には多くの霊的な人々が起こされていて、霊的なことが現れている。ダニエル書が解釈され、黙示録が解けられている。今日私達にこのような聖霊の働きが必要である。教会の使命を全うする為に聖霊の働きが必要であり、聖徒の使命を全うする為に聖霊の働きが必要である。聖霊様が臨む時に、このような幻を見、夢を見ることができる。聖霊が臨まれる時に、子どもは預言をし、青年は幻を見、老人は夢を見る。なので、霊的な預言を慕い求め、幻と夢を見るように求めなさい。神様は求める者に豊かに与えてくださる方である。

2.幻の目的がある。

1).神様の道に導く為である。肉を持った人間は神様の御心を部分的にしか知ることができない。偉大な信仰人も全てを知ることができない。偉大な使徒パウロもそうだった。福音を伝える為にアジアの方に行こうと努力した。しかし、神様は幻を通して教えてくださった。行16:9-パウロが祈る時にマケドニア人が助けて欲しいという幻を見た。神様の御心はアジアではないヨーロッパの宣教だった。例え、パウロがアジアに行ったならば、福音は世界中に広まることができない。時々私達も自身の進路を知らなくて彷徨う時がある。私達がどのように一番正しい選択をし、正しく行くことができるのか?神様の恵みが臨む時に正しく選択することができ、正しく行くことができない。

2).幻の目的は神様の民を守る為である。イェス様が生まれる時に不思議なことが多くあった。天使達が頻繁に現れ、多くの人々が夢を見て、幻を見た。その中ヨセフも4回も夢を通して導かれた。夢の目的はイェス様もご家族を守る為であった。マタイ2:13-このように神様は時には夢を通して幻を通してご自分の民を守ってくださる。今から3年前のことである。アメリカの牧師先生一行が京都に来られるようになってから英語を学びたい考えがあった。ちょうどその時、アメリカで勉強していた友達の牧師先生から電話が来て、1年間アメリカでの留学を進められた。教会があるから難しいと言った時に、自分が一年間代わりに奉仕をすると言ってくれた。祈りもせずにいいなと思って、調べて欲しいと伝えた。話がまとまっていく頃、急に大阪の牧師夫人から電話が来て、昨日京都の家族がアメリカに行く夢を見た。しかし、後任で誰かが来たが、教会がめちゃくちゃになったと言ってくださった。愚かな私を大阪牧師夫人を通して悟らせてくださった。このように神様はご自分の民を守ってくださる。1節で神様はアブラハムにこのように語られる。1節―神様は私達を守る盾である。神様は一番安全な避けどころである。神様の守りがありますように願う。

3.私達も幻を見ることができる。神様は私達に幻を見せてくださり、、霊的な夢を見させてくださる。何故かというと最後の時が近づいて来たからである。最後の時には悪魔との激しい霊的な戦いが繰り広げられる。この時に多くの人々が信仰を捨てて、世の中に戻る。全世界的にイェス様を離れ、教会を離れる背教が起きる。悪魔が自分の時があまり残っていないことを知っているから必死に働くからである。黙示録12:12-…この時に霊的に目を覚まさないといけない。そうではないとどんなひとであってもつまずき倒れる。그래서 하나님도 여러 은사를 통해 성도를 보호해 주신다.なので、神様もあらゆる賜物を通して聖徒を守ってくださる。幻と夢を与えて聖徒を導いてくださる。最後の時には霊的な恵みが必要である。誰が幻を見て、霊的に夢を見ることができるか?真摯に祈る人が幻を見て、霊的な夢を見る。アブラハムが幻を見たのは朝早く祈る時だった。朝早く祈る時に彼の霊の目が開き、幻が見えた。つまりアブラハムは朝の時間を浪費しなかった。朝早く起きて神様に祈った。祈る彼に神様は幻を見せてくださり、子孫の祝福を語られた。このように祈りは自分にとって一番尊い時間に捧げなければならない。何よりも尊い時間に、精一杯祈る時に神様が受け入れてくださる。なので、イェス様も朝早く起きて祈った。全ての信仰の人々が早朝を祈りの時間として過ごした。その朝の祈りを神様が受け入れてくださる。詩88:13-祈りはいくら強調しても言い過ぎではない。なので、パウロは絶えず祈りなさいと言った。休まないのは呼吸と祈りだけである。呼吸を長く休んだら肉が死ぬように、祈りを長く休んだら死んでしまう。肉が死んだら何も感じないように、霊が死んだら何も感じられない。例え、そんな人がいるならば祈らなければならない。自身の寝ている魂が目を覚ますように熱心に祈るべきである。神様の恵みを感じられないのは、恵みの管が詰まっているからである。管が詰まって、私の祈りは神様に捧げられなくて、神様の恵みも私に臨まれない。このように詰まっているものを力強い祈りを持って除去しなければならない。全て 詰まっているものが取り除かれるまで力強く祈らなければならない。祈る時に自分の霊が生きて、神様の恵みが雨のように注がれる。祈る時に幻が見えて、霊的な夢を見ることができる。祈る時に未来を見る。なので、祈る為に目を閉じる者が一番多く見ることができる。未来を見て天使のことを見る。祈らなかったら自身も苦しいが、周りの人も苦しい。祈りだけが生きる道である。祈りなさい。祈りを捧げていくうちに大きな恵みを受けることを主の御名によって祝福します。

 

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実(ヨハネ15:16)

2/22/2014

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本文にはクリスチャンのライフについて語られている。どのように救われ、救われてからどんなことがあるのか、救われた目的は何なのか。それは実を結ばせる為である。今日は執事献身礼拝である。1年間神様に仕える為に献身の心を持って捧げる礼拝である。本文を通してとうとい恵みをいただこう。

1.イェス様の選び。救いはただイェス様の選びよって与えられる。私がイェス様を選んだのではなく、イェス様が私を選んでくださった。選びには二つの種類がある。救いの選びと働き人としての選びである。私が選ばれて救われたように、また働き人としても選ばれた。勿論救われた全ての者が働き人だが、その中で教会に仕える為に特別に働き人を選んでくださった。誰が選んだのかはとても大事なことである。社長が選んだならば、会社の為に働き、大統領が選んだならば国の為に働くべきであり、選んだ人によって、働きの範囲が違い、内容が変わってくる。私達を選んでくださったイェス様は誰なのか?全能なる神様、王の王となられる方である。つまり私達は神様の国の為に働くように選ばれたのである。神の教会を建て、神様の民を使える為に選ばれた。言い換えると一番偉大な事、重大な事に私達が選ばれた。なので、私が選ばれたことは光栄なことである。天に御国の働き人として神様の働きをするからである。また神様はこの使命を全うできるようにあらゆる恵みを注いでくださった。聖霊を与え、能力と知恵を与えてくださる。しかし、イェス様が誰を選んだのか?海で魚を捕る漁師達だった。無学の人達であって、何の能力も持ってない人々だった。いくら考えても神様の働きに主日御言葉

適切に思われない人々だった。しかし、イェス様は一番重大な事に、船に乗って、魚を捕る人々を選んだ。誰もこのような冒険はしない。勿論イェス様が間違って選んだのではない。イェス様が夜通し祈られ、一人一人選んでくださった。ルカ6:12-13何故イェス様は決して優秀な人でない漁師を選んだのか?彼らを愛されたか

ら。他の動機はなかった。私の救いも同じである。私は素晴らしい人でもなく、救われる資格もない。私の力を見て選んだのではない。ただ神様が私を愛してくださった。そして私を神の働き人として選らんでくださった。使徒パウロはこのように書いた。Ⅰコリント1:26これが私の話であり、私達の話である。そんな私達を救われ、選んでくだっさったからただ感謝しかない。なので、私達が自分の最前を尽くして神様に仕え、聖徒達に仕えよう。そして神様の働きに私の能力なんか重要ではない。神様の働きは私の力、知恵でするのではなく、またすることもできない。なので、祈るのである。祈る時に聖霊の力と知恵をいただき、だれでもできる。今日まず覚えるべきことは神様が私を愛してくださり、私を選んでくださったということである。

2.イェス様の任命。弟子達を任命されたように、私達を神の御国の働き人として任命してくださった。マルコ3:14-15ご自分とともにおらせる為に – 愛の条件は共にいることである。イェス様が働かせる為に私を選んだのではない。ご自身との親密な交わりの為に選んだ。マタイ28:20イェス様は私達と愛の交わりを願っておられる。なので、私達は奉仕する前にイェス様と交わる為に祈らなければならない。御言葉を読み、黙想し、主の御声を聴くべきである。その人をイェス様が喜んでくださる。伝道をし、イェス様と交わった人は次ぐに隣人と親密な交わりをするべきである。.イェス様の法則はいつも分かち合うことである。独占するのは主の御心ではない。なので、主の愛を分かち合い、恵みと命を分かち合うべきである。イェス様の愛を分かち合う時に生活に力が現れる。なので、悪霊も追い出すことができる。ここにいる全てはイェス様の弟子として任命された方々である。なので、主と親密な交わりをして、人々と愛と恵みを分かち合うべきである。執事が最初に選ばれたのは初代教会の時だった。初代教会に聖徒が増えて、使徒たちの働きが多くなった。使徒たちが忙しくなって自分達の本分を疎かにしてしまった。それを改善する為に執事を選び任命したのだ。つまり使徒を助け教会を建て、聖徒を使える為に選んだ。これが執事達が選ばれた目的である。牧会者を助け教会を建て、聖徒に仕えることである。その執事の資格について聖書はこのように語っている。行6:3そこで、兄弟たちよ、あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人たち七人を探し出してほしい。その人たちにこの仕事をまかせ,聖霊充満であること–これが一番大切なことである。神様の働きはただ聖霊を通してのみすることができるから。聖霊充満な時に神様の働きをするのが楽しくて幸せである。やればやるほど力が湧き出る。しかし、聖霊充満ではなかったら喜びもなく、疲れるばかりである。なので、働き人は熱心に祈るべきである。祈りなしで聖霊充満はないし、聖霊充満なしでは、神様のの働きができないからである。知恵充満でなければならない。教会の働き人は聖霊充満とともに知恵に満ちないといけない。人を生かして助けることに神様の知恵が必要である。この世で習得した知恵は神様の働きを助けることができない。ただ上から来る知恵をいただく時に実を結び、称賛されるのである。(ヤコブ3:17)神の知恵の第一は清さで、最後は真実だ。最初に、働き人は神様に清く、人に真実でなければならない。その時たくさんの実を結び、称賛を受ける。

3.私の使命は実を結ぶ事。(1)悔い改めの実(マタイ3:8)救いの最初の関門は悔い改めることである。悔い改めというのは、間違った置から方向転換して、イェス様に向いて歩くことだ。従って悔い改めれば、昔の人は新しい人に変わり、考え、言葉、行いが変わる。つまり、悔い改めの実は生活の変化を意味する。本当に悔い改め人は必ず生活が変わる。(2)聖霊の実(ガラテヤ5:22-23)悔い改めの実は生活の変化であれば、聖霊の実は人格の変化である。イェス様を信じて一日で人格が変わるわけではない。なぜなら、生まれつきの本性はなかなか変わらないから。なので救われた聖徒は御言葉どおり生き、聖霊様に従って生きなければならない。その時少しずつイェス様の姿が私達のなかにできる。救われて、聖霊を受けた人に必ず人格の変化が現れる。しかし、神様の御言葉通り生きなければ誰も聖霊の実を結ぶことができない。願うのは神様の御言葉通り生き、聖霊の実を結ぶように。(3)伝道の実。本文の内容は伝道の実を意味する。15章ではこの実について7回も強調している。伝道の実を結ぶ事は神様の御旨であり、神様が喜ぶことである。なので伝道の実を結ばなければならない。実を結ぶためにどうすれば良いか。(ヨハネ12:24)私が死ななければならない。一粒の麦は死ななければ、一粒のままだが、死ぬとき100倍の実を結ぶ事ができる。神様の働きが私の働きだという使命感を持たなければならない。他人事だと思うと熱心にやる事ができないし、実も結べない。実を結んだ結果どうなるか。(1)15:2「きれいになさる」私をもっと美しく、尊くされ、豊かな祝福を与えてくださる。(2)15:8「父は栄光をお受けになる」私達の人生の目的は神様に栄光を返すこと。伝道して実を結ぶとき、神様は栄光をお受けになる。(3)15:8「求めるものを与えてくださる」私達の祈りに応えてくださる。イェス様は天の祝福を与えようとしておられる。その為に祝福の根拠を求められる。伝道して実を結ぶ時、その実を見て祈りに応えてくださる。この伝道の実は信仰のバロメーターである。(マタイ7:16-17)良い信仰は良い実を結ぶ。私は良い実を結んでいるか振り返って見ましょう。そして良い実を結ぶと決断しましょう。良い実を結ばない時苦しみに遭う。(マタイ21:43)救われた者の使命は実を結ぶことである。そのため最善を尽くしましょう。

結 論:ヨハネの福音書15章は最後の晩餐の時イェス様がされた話であり、遺言的な言葉。そして、それは「行って実を結びなさい」との内容である。実を結ぶためには死ななければならない。自分の事のようにするべきである。愛する執事達と全ての聖徒達がたくさんの実を結ぶことを祝福します。

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神様の知恵 (コリント1:18-25)

2/18/2014

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神様が私達を読んでくださった目的が大きく二つである。一つは私達を救われた神様を礼拝する者として読んでくださり、もう一つは、神様を愛する伝道者として読んでくださった。なので、神様の愛を悟者は神様を礼拝し、魂の大切さを悟った者が伝道することになる。

1.十字架の言は 神様の力である。18節- 十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかるわたしたちには、神の力である。 十字架の言は、神の力である。罪人は義人にならせる力であって、死者を生かす力である。滅びに至る人々を天国まで引き上げる力である。どんな人であっても十字架を通して救われ、イェス様を信じる時に、永遠の命を天国に行くことができる。資格がなくても、罪が多くてもイェス様を信じたら、永遠の命を得て天国にいくことができる。なぜ十字架のことばが神の力なのか?神様が十字架を通して罪の問題、死の問題を解決してくださった。罪と死の前で完全に無力な存在である。数千年間人々は罪と死の故に苦しまれた。つまり人間は自らを救うことができない。しかし、神様がその罪の問題、死の問題を解決された。一人子イェス様を私達の代わりに、十字架につけて、私達の代わりに死なせてくださった。つまり私達の代わりにイェス様を裁かれた。このイェス様の十字架を罪の問題、死の問題が解決された。なので、十字架は

主日御言葉

神の力である。しかし、十字架の言葉を愚かに思う人々もいる。[信じる者はだれも救われる]いくら叫んでも耳をすまそうとしない。「イェス様を信じたら天国に行ける」と言っても無関心である。信じないから救われない。しかし、誰でも、信じる時に救われる。罪がどれほど多く、大きくともイェス様を信じる時に赦される。十字架が神様の救いの力である。自分の力でできないことを十字架がやってくださる。誰での「主よ!」と叫んだら救ってくださる。ローマ10:13-

2. 神様の知恵。ローマ1:16- 福音を信じる者に救いを与える神の力であるといった。福音の中には神様の命があって、魂の救いがある。この福音を通して救われる。素晴らしい福音だが、自らは動くことができない。どのように伝達されるのか?福音はただ伝道する人を通してのみ伝達される。何故かというと福音は人々に委託されたからである。福音は人々を通して他の人々で伝えられ、その時に命が与えられ、救われる。つまり伝道する時に人々が救われる。伝道を通して永遠の命を得る。伝道を通して新しい人となり、希望の中で生きる。伝道しなかったらどんなに良い福音を他の人々に与えることができないし、救いを与えることができない。伝道を通して天国の祝福を伝達されるので、伝道は神の知恵である。21-  神様は伝道を通して人々を救われる。他の方法はない。神様は天使を通して人々を救われない。ただ伝道を通して信じる者を救われる。なので、この伝道が魂を救う神様の知恵、神様の方法である。何故伝道が神様の知恵で、方法なのか?神様が人間の知恵についてこのように話された。19-神様が人間の知恵を否定しているのではない。人間の知恵は罪の故に堕落したから。1:21- 世は自分の知恵を持って神様を知ることができないと言った。考えてみなさい。人間は数千年の間神様を探した。あらゆる宗教を作り、哲学と思想を通して神様を求めた。なので、どの時代であっても、どの民族も神がいない国、場所じはいない。日本では八百万の神がいる。日本人が数千年間探して求めた神の数が800万である。しかし、八百万の中に真の神はいない。インドには日本よりも多くの神がいる。神様は人間の知恵で探すことができる方ではないからである。なので、神様は救いにおいて人間の知恵を滅ぼされた。1:19- 神様はただ啓示を通してのみ知ることができる。神様がご自身を見せてくださる時にのみ、神様を知ることができる。(마11:25)なので、神様は人間に続けて自身を啓示してくださった。自身を信じて救われるように話された。預言者達を通して、時には聖書を通して、キリストを通して自身を啓示された。ヘブライ1:1-2-しかし、人々は神様を拒み、信じなかった。今も伝道したら人々が拒むように、人々が神様を拒んだ。そして最後に神様はイェス様を通してご自身を啓示された。目に見えない神様が目に見えるイェス様として現した。見て信じなさいという意味である。ヨハネ12:44-45-つまりイェス様を信じることが神様を信じることである。なので、誰でもイェス様を信じる時罪赦される。信じる時に全ての罪が赦される。過去現在未来の罪さえ、全て赦される。自分の努力、行動ではない、ただイェス様の恵みによって赦され救われた。イェス様を信じる時に永遠の命を得て天国に行くことができる。信仰は天国に行くチケットと同じである。このイェス様を信じる時に天国にいくことができる。伝道はおろかに見えるが、一番力ある神様の方法である。なので、イェス様が伝道された。マルコ1:38-誰かが福音を伝えてくださったから救われた。信じまいと拒んだ私達に誰かが続けて伝えてくださったから信じて救われた。伝道が神様の方法であるならば、私達が愚かに思ってはならない。逆に伝道を喜び、その方法を従うべきである。路傍伝道であれ、個人伝道であれ、神様の方法として信じて伝道しなければならない。

3.伝道は使命である。神様のただ伝道を通して罪人を救われる。なので、伝道を喜ばれる。21-つまり伝道する人々を通して罪人を救われる。命の伝達は伝道を通して起きる。なので、イェス様が伝道を命じられた。マルコ16:15-伝道は全てのクリスチャンに与えられた命令であって使命である。誰が伝道するのか?魂を愛する人が伝道する。不信仰の結果が何なのか?永遠の火の地獄である。熱い火に少し当っても耐えられないのに、火の地獄で永遠に苦しむことである。私が他の人の為にできる最高のことが伝道である。他人に永遠の命を与え、天国を与えることが最高のことである。この伝道を通して神様の愛が伝達される。神様を愛する者が礼拝し、人を愛する者が伝道するのである。イザや6:8-死の海で彷徨っている私達の家族がいる。友達と同僚と兄弟姉妹がいる。彼らに誰が福音を伝えるのか?愛する者が伝道するのである。愛を受けて伝道する者になろう。伝道は特権である。永遠の命を与える偉大な特権である。この特権を活用しよう。愛を持って伝道しよう。多くの実を刈り入れよう。

結 論。十字架の言葉は神様の力である。イェス様を信じる時に罪から、救われ、滅びから救われ、天国に行く。この救いと永遠の命が伝達される通路が伝道である。神様は伝道を通して罪人を救ってくださる。外に行って、伝道するならば、神様が救ってくださる。農夫は種を撒いたら、実が実らないか心配しない。時が来たら必ず実が結ばれることを知っているから。外に行って伝道すれば後に多くの実を結ぶ。神様が育てられ、実を結ばせる。伝道する時に聖霊様が共におられ、救ってくださる。このような命を生かす伝道ができるように祝福する。

 


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