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主日礼拝ビデオ
主日御言葉  

罪との戦い

2/23/2020

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(ローマ7:7~25)
7.それでは、わたしたちは、なんと言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったであろう。すなわち、もし律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったであろう。 8.しかるに、罪は戒めによって機会を捕え、わたしの内に働いて、あらゆるむさぼりを起させた。すなわち、律法がなかったら、罪は死んでいるのである。 9.わたしはかつては、律法なしに生きていたが、戒めが来るに及んで、罪は生き返り、 10.わたしは死んだ。そして、いのちに導くべき戒めそのものが、かえってわたしを死に導いて行くことがわかった。 11.なぜなら、罪は戒めによって機会を捕え、わたしを欺き、戒めによってわたしを殺したからである。 12.このようなわけで、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。 13.では、善なるものが、わたしにとって死となったのか。断じてそうではない。それはむしろ、罪の罪たることが現れるための、罪のしわざである。すなわち、罪は、戒めによって、はなはだしく悪性なものとなるために、善なるものによってわたしを死に至らせたのである。 14.わたしたちは、律法は霊的なものであると知っている。しかし、わたしは肉につける者であって、罪の下に売られているのである。 15.わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。 16.もし、自分の欲しない事をしているとすれば、わたしは律法が良いものであることを承認していることになる。 17.そこで、この事をしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。 18.わたしの内に、すなわち、わたしの肉の内には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである。 19.すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。 20.もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。 21.そこで、善をしようと欲しているわたしに、悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。 22.すなわち、わたしは、内なる人としては神の律法を喜んでいるが、 23. わたしの肢体には別の律法があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。 24.わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。 25. わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。このようにして、わたし自身は、心では神の律法に仕えているが、肉では罪の律法に仕えているのである。
序論
信仰によってイエスキリストと結ばれ、神の子となり、イエスキリストのうちに生きる者となる。イエスキリストのうちに生きることはクリスチャンの本質である。その本質のうちには、聖化があり、聖霊による勝利がある。   信じる者はキリストと一つだ。それは、罪から自由になり、新しい命に生きることである。
今日の聖書個所からは罪と律法から解放されて完全に自由な者は、罪と律法から全く無関係になったのではなく、今も誘惑してくる罪と戦いながら、キリスト者として生きる事を教えている。
 
本論
1 律法と私
律法そのものは罪ではない。律法は罪を意識させ、罪に定める機能を持っている。
律法の果たす機能とは
  • 罪の自覚を与える
内心の罪、実際には見えない現れない人間の根源的欲望、あれが欲しい、これも欲しい、もっと欲しい・・・律法によって禁止されると強く意識され、自制を覚える。
②私の中に罪があり、それが生きていることを悟らせる
罪は巧妙で力強い敵。本来は善である律法の具体的命令規定を通して、私の内に攻撃の拠点を確保し、収拾のつかないほどのむさぼりを引き起こす。
③私を死に導く
律法の真の意義を意識するようになった時、自分には罪があり、
罪のゆえに死ななければならないことを悟る。
罪は生きて働く人格的な力。もともと善である律法を巧みに利用して死をもたらした。良い物にくっついてきて害をもたらす。
律法は、隠れて、くっついてきて、大きくなろうとする罪を明らかにする物。

2 私と罪
律法は義と聖の本質を持つ=神の本質の反映
私=罪の奴隷となりやすい本性を持つ、そして罪の奴隷となっている。
人の努力や力で、私の内の欲に拠点を築いて居座り活動する罪に勝つことはできない。
 
3 われらの希望イエスキリスト
現実では厳しい罪との戦いがある。悪口や不満、神からの物でない物、神が喜ばれない物がどれだけ私の内にあるだろうか。
イエスを信じるなら、イエスの内にいる。
イエスの内にいるならイエスの十字架の贖いの力は私の内に働く。
罪に勝つのはキリストの十字架、神の力。
イエスの十字架の贖いを信じ、滅び、悲しみ、苦しみの原因、罪から解放される。
 
結論
現実の私たちには罪との戦いがある。私の内の隠れている罪の性質と、それを喜ぶ心がある。キリストは、犯した罪だけでなく、この罪の性質をも清め、完全に救う。
イエスキリストは私たちを信じる信仰だけで神の子とされ義しいと認め、この世にあって守り、助け、導き、キリストの似姿にまで変えてくださる方、天国に入れて永遠にともに住んでいださる方である。滅びの原因、神との永遠の分離、罪の解決はイエスキリストの十字架の贖いだけである。全ての人がイエスキリストを信じ救われるように。
 
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使命者

2/16/2020

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(創8:1-12)
1.イエスが山をお降りになると、おびただしい群衆がついてきた。 2.すると、そのとき、ひとりのらい病人がイエスのところにきて、ひれ伏して言った、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。 3.イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、らい病は直ちにきよめられた。 4.イエスは彼に言われた、「だれにも話さないように、注意しなさい。ただ行って、自分のからだを祭司に見せ、それから、モーセが命じた供え物をささげて、人々に証明しなさい」。 5.さて、イエスがカペナウムに帰ってこられたとき、ある百卒長がみもとにきて訴えて言った、 6.「主よ、わたしの僕が中風でひどく苦しんで、家に寝ています」。 7.イエスは彼に、「わたしが行ってなおしてあげよう」と言われた。 8.そこで百卒長は答えて言った、「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。 9.わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。10.イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われた、「よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。 11. なお、あなたがたに言うが、多くの人が東から西からきて、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、 12. この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう」。 

序論
8章は神様の裁きが終わって新しい時代が始まるところである。死が終わって命が始まり、絶望が希望に変わるところである。本文を通して恵みを分かち合おう。

本論
1.カラスとハト
ノアは外の世界の情報を得るため、神様の新しい歴史が始まる印を持ってくるようにカラスを放した。ノアはカラスを放す前にカラスがやるべき事を教えたはずである。でも、カラスは腐った肉の誘惑の為に自分の使命を忘れ、何も持ってこなかったし、箱舟にも戻らなかった。結局ノアはハトを放した。ハトはノアの重大な任務を全うした。オリーブの葉っぱを見て、ノアは神の裁きが終わった事を知り、神様の新しい歴史が始まった事を知った。クリスチャンの中では自分の使命をほったらかし、肉の為生きているカラスのようなクリスチャンがいて、自分の使命を全うするハトのような信仰者もいる。カラスは肉的クリスチャンを象徴し、ハトは霊的クリスチャンを象徴する。また神様に犠牲の生け贄となった動物ように自分の人生、自分の命を捧げて神様に使えるクリスチャンもいる。
2.ノアの信仰
特別な状況の中でもノアの生活と信仰は変わらなかった。ノアは七日を周期に外に鳥を放した。ノアは箱舟の中でも神様が定められた安息日を守ったのである。また、外の世界の変化を知る為努力した。そのノアの努力の為に箱舟の全ての生き物が新しい地を踏むことができた。ノアは環境や状況に左右されず、信仰で生きた人だった。信仰は自己中心的な信仰になってはならない、神様を喜ばせる神様中心の信仰にならなければならない。ノアは神様が箱舟を作りなさいと仰った時120年間箱舟を作り、箱舟の中に入りなさいと仰った時箱舟に入り、土地が乾いても神様が出なさいと仰るまで待っていた。このように信仰は従順を伴う。また、371日ぶりに外に出たノアが初めてやったことが生け贄を捧げることだった。救われた感謝、新しい地に導かれた恵みに感謝し生け贄を捧げたのである。

結論
今日の本文は誰が使命者なのかを教えている。ハトのような霊的な信仰者が使命者であり、自分を捧げた殉教者たちが使命者である。神様の御言葉に従ったノアが使命者である。皆さんがこのような信仰者となるように祝福する。

学びと決心
カラスは肉的クリスチャンを象徴し、ハトは霊的クリスチャンを象徴する。神様は救われた者を再びこの世の中に使わされる。この世で神様の栄光をあらわし、地の塩世の光となろう!
特別な状況の中でもノアの生活と信仰は変わらなかったし、いつも御言葉に従順した。また、神様はノアの礼拝で心を動かした。私たちが捧げるべき礼拝がこのような礼拝でなければならない。私たちが賛美を捧げる時に神様が栄光を受け入れられ、私たちが捧げる礼拝と祈りを通してこの地を許し、私たちの捧げものを通してこの地を祝福する礼拝を捧げよう!
自分を顧みよう
自分はどんなクリスチャンなのか?
カラスのようなクリスチャンなのか、或いはハトのようなクリスチャンなのか?
今でも遅くない。自分の使命を忘れ、肉の為に生きてきた事を神様に悔い改めよう。
これからは、神様が与えられた使命の為に生きると決断しよう!
ハトのような信仰者となろう!

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アダムとキリスト

2/9/2020

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(ローマ5:12~21)
12.このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。 13.というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。14.しかし、アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、死の支配を免れなかった。このアダムは、きたるべき者の型である。 15. しかし、恵みの賜物は罪過の場合とは異なっている。すなわち、もしひとりの罪過のために多くの人が死んだとすれば、まして、神の恵みと、ひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、さらに豊かに多くの人々に満ちあふれたはずではないか。 16. かつ、この賜物は、ひとりの犯した罪の結果とは異なっている。なぜなら、さばきの場合は、ひとりの罪過から、罪に定めることになったが、恵みの場合には、多くの人の罪過から、義とする結果になるからである。 17. もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。 18.このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。 19.すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。 20.律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。 21.それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。

 ​序論
ローマ書はキリスト教教理が論理的、体系的に書かれている。信仰によって義とされ、神の子どもとなり、神の国に行けることを説いている。信仰とは、イエスキリストが、私の罪のために十字架にかかったことにより、私は罪とその結果から救われ、天国に行けることを信じることである。
​
本論
1 アダムによってもたらされた罪と死(12~14節)
私とアダムの罪と、何の関係があるのか?
アダムとは、生来のままの人類全体を代表する者。「最初の人アダム」
キリストとは、生まれ変わった新しい人を代表する者。「最後の人アダム」
全ての人が肉体の死に向かって歩んでいるということは、罪の結果与えられた事実です。
アダムが犯した罪は人類が犯した罪が、私が犯した罪になる。
許しを強調しているイエス、あなたはどうするか?
律法学者、パリサイ人は自分は正しい、あなたは間違っているとイエスにも心の中で石を投げつけ、死に至らせようとしていた。
神の前に出るなら、全てが明らかになる。
知らなかったことも罪であることを悟り、忘れていたことも思い出して心が痛くなるように誰も神様を騙すことはできない。自分の心の中にある誰も知らない隠れた罪も罪である。
全ての人は罪人である。
 
2 キリストによってもたらされた義と命(15~19)
罪人の私に希望はある。 
アダムによって罪が全人類に入った。
しかし、イエスの十字架によって、全ての人の救いの道が開かれ、罪赦され、義とされる恵みが与えられた。
本当は私が罰を受ける者だったのに、代わりに罰を受けてくださった方によって罰を受けないばかりか、溢れる恵み、永遠の命を下さる恵みである。
永遠の命は、神と共に、神の恵みのうちに永遠に生きることである。
イエスキリストの十字架の贖いを信じて、恵みを受けよう。
 
結論
律法は神の民が守られるために神から与えられたものだ。
律法によって、何をしてはいけないかが分かり、罪の自覚が増し加わる。
罪の自覚が増し加われば、それを許し、解決してくださる神の恵みも豊かに悟る。
神に悔い改めてすがるなら、救われるからである。
どんな罪を犯したとしても、心の中に取れない罪があるとしても、イエスキリストの前に出よう。イエスキリストの十字架の贖いは全ての人に与えられている恵みである。
この恵みを、しっかりといただく人になろう。

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救いの箱舟

2/2/2020

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(創世記7:13-17)
13.その同じ日に、ノアと、ノアの子セム、ハム、ヤペテと、ノアの妻と、その子らの三人の妻とは共に箱舟にはいった。 14.またすべての種類の獣も、すべての種類の家畜も、地のすべての種類の這うものも、すべての種類の鳥も、すべての翼あるものも、皆はいった。 15.すなわち命の息のあるすべての肉なるものが、二つずつノアのもとにきて、箱舟にはいった。 16. そのはいったものは、すべて肉なるものの雄と雌とであって、神が彼に命じられたようにはいった。そこで主は彼のうしろの戸を閉ざされた。 17.洪水は四十日のあいだ地上にあった。水が増して箱舟を浮べたので、箱舟は地から高く上がった。 

序論
大洪水の前に神様がなされた事:箱舟のドアを閉められた。箱舟のドアが閉められてことにより → 二つの世界に分けれらる
​
本論
1. 霊的区別
大洪水の前に、神様は先に箱舟と地を離し、霊的区別をされた。
・箱舟の中:神様が支配する手霊的世界 → 救われる
・地上:サタンが支配する肉の世界 → 滅びる
2. 区別の目的
・裁くためではなく救うためである。
区別された箱舟を見て、一人でも悔い改め、救いを得させるためである。
・私達が救われるよう、独り子を遣わした。
3. 終末の時代、救われる場所――教会
・教会:神様が世の中から区別された場所
    世に建てられたが、世に属せず、天に属す場所
    救いのは唯一の場所
・教会で訓練を受けよう
 苦難は神様の御旨、私達を救いに相応しい者に変えるためである。
 
結論
教会は神様がご自身の血を持って買い取られた場所であり、地上で最も偉大な場所である。この教会をもっと愛し、また教会の為に献身しよう。教会の兄弟姉妹を愛し、互いに仕えよう。
学びと決心
1.罪を悔い改め、箱舟から離れないようにしよう
2.イエス様の血潮を買い取られた教会を愛し、教会の為に果たさなければならない責任、守らなけれ献身しよう
3.教会で受ける苦難に負けず、救いに相応しい者に変えよう

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