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主日礼拝ビデオ
主日御言葉  

2020年9月20日 Ⅱ列王記2:1-14 後継者 姜直子師

9/27/2020

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★エリヤ
・この世で死を見ることなく、天に上げられた人
・しかし弱い面もあった。
隠れたり、弱音を吐いたり、落ち込み、悩んだり
・その度に、そのままの姿で神に助けを求めた。
・このまま最後まで全うしたカリスマ的存在
・エリヤが神様に従ったように、私達も神様に従順しよう。
・その時に神様が私達を助けてくださる。
 
★エリシャ
・エリヤの後継者として選ばれた人
・使命を忘れず、責任を全うし、エリヤに従った人
・しかし、エリヤが昇天するまでエリシャの事はほとんど書かれていない。
・裏でエリヤが神様に仕える姿を見ながら神様とエリヤに仕えた。
・エリヤが昇天した後、悲しみに浸っていたのではなく
神様に求め、すがりながら、エリヤの後継者としての歩みを踏み出した。
 
★私達
・エリヤを慕い、従う人がたくさんいたが、後継者はエリシャ一人だけ
・私達もエリシャのように信仰の後継者にならなければならない。
・ずっと求め、何度もすがり、力をいただかかなければならない。
・神様から大きな恵みを受けたのにも関わらず、神の栄光の為に使わず
悲惨な結果を迎えた人もいる――信仰の後継者になってない。
・神様が嫌うこと、喜ばないことから手を離さなければならない。
・神様からの使命を悟ったならば、今までの生活を片付けて、神様に従おう。
 
結論
神に求めよう、歩みべき道、従うべき道、行うべきことを示してくださいと。
神様がそのような人をエリシャの様な後継者としてくださることを信じる。
そしてここからエリシャの様な信仰の後継者が出てくることを信じる。

学びと決心
 
1. エリヤのように、弱くなった時もそのままの姿で神様に求めよう。
2. エリシャのように神様に求め、すがり、仕えよう。
3. 神様が嫌うこと、喜ばないことから手を離そう。
4.使命を悟ったなら責任を持って最後まで全うしよう。
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2020年9月13日 「Ⅰ歴代誌29:1-9 聖殿建築」姜 讃馨師

9/19/2020

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序論

ダビデは愛する神様の為に最善を尽くした。失った契約の箱を見つけ出し、聖幕を建てて、詩で神様を賛美した。そして自分の使命ではないことを知ったとき、神様の為に聖殿建築を準備した。

本論
1ダビデの準備
ダビデの告白:この宮は人のためではなく、主なる神のためである。神様を愛する人は神様の宮を建てることを願った。わたしの目とわたしの心は常にここにある。神様は神様の家で祈る人の祈りに答えてくださる。ダビデは力を尽くして準備した。彼がどんなに切に望んだのか想像に難くない!  3節-  心を尽くして準備した。4節-想像付かない捧げ物を捧げた。ダビデは苦難のうちにあって主の家のために…備えた。5節-ダビデは人々に共に神の聖殿のために捧げることを勧めた。喜んで惜しまずに捧げよう。6節-神様のために一つになって働くことが神様の御国の姿である。

2私たちの聖殿建築
聖殿建築のために神様が嘆いたことがある。外部の敵や内部の不満のために聖殿建築は伸ばされた。人々は期待がなく聖殿建築をしようとする心もなくなった。そして自分の家を建てていった。自分のために働くことを当然なことと思った。聖殿は生活の中心であり、命の根源である。神様は神の宮を建てることを喜ぶと言った。聖殿がたてられると栄光の中で現れ、祝福すると話された。
私たちも同じである。教会建築は神様が命じたことであり、私たちに必要なことである。神様の教会は地上でもっとも重要であり、尊いところである。罪が許され、価値ある人生が始まるところである。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
3神の教会
神が御子の血であがない取られた神の教会である。
教会を建てることは人が神様のためにできるもっとも尊いことである。神様が命を捧げて建てた教会を建てることはもっとも栄光なることである。 全ての時代の全てのクリスチャンは神様の教会を建てるために最善を尽くさなければならない。神様が感動を与えると、喜んで神様に捧げ物を捧げ教会は建てられる。
不思議にもどんな時代でも聖殿は困難な時期に建てられた。不可能な時外部の敵、内部の不平不満も多かった。 神様が困難の時期に聖殿建築をよび求めることは神様ご自身がなされるという意味である。
ザカリヤ4:6-…万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。
4捧げる心について
私たちの人生は荒野である。危険、誘惑、道を踏み外すと死に至ることもある。神様は荒野人生に教会を建ててくださる。共にあゆみ、導いてくださる。献金を喜んで捧げる時に神様が喜んで受け入れてくださる。ダビデの心-17-また正直を喜ばれることを…わたしは正しい心で、このすべての物を喜んでささげました。民が喜んで、みずから進んであなたにささげ物をするのを見ました。彼は喜んで、神様が与える感動によって正直に捧げた。
結論
私たちも大切なものを感動に従って捧げよう。
神様が受け入れるのは自ら進んで捧げる捧げ物である。そして神の教会は信仰で建てられるところであり、祈りで建てられるところである。信仰を持って神様に祈ろう。私がどんなものを捧げるのを願いますかと正直に聞いてみよう。そして感動に従って自ら進んで喜んで捧げよう。美しい神様の教会が建てられる恵があるように。
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2020年9月6日「Ⅱサムエル記6:1-11 オべテ エドム」姜 讃馨師

9/12/2020

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序論
本文には契約の箱についてかかれている。契約の箱は神様がおられるところであり、神ご自身を記している。神の箱とも呼ばれている。
オベテ・エドムは神の箱に3か月しか仕えてなかったが、神様の祝福を受けた。
 
本論
1. 神の箱
・神の箱は神殿の中で最も聖いところ――至聖所に置かれてる
。
・イエス様の御血潮により、私達はすでに至聖所に入ってる
。
すなわち、この礼拝が神様に出会うほうほうであり、神様の御声を聴く時間である
。
・すべての礼拝と行事の先に神様を迎えなければならない
。
聖徒として先に神様を心の中に受け入れなければならい
。
・神様の臨在がない礼拝、神様を受け入れない心には恵みも臨まない
。
2. 神の箱に仕えた人たち
・アビナダブ――20年間仕えたが、何の祝福も受けなかった
。
ウザ――神様に仕えたが、命を失ってしまった
。
オベテ・エドム――神の民ではないにもかかわらずその子孫まで祝福された
。
・契約の箱に対する人の態度によって、結果も異なる
。
3. 神様に仕える態度
・アビナダブ
最初は神様を愛してたが、だんだん冷めてしまい、形式的になった
。
信仰、愛が変質してしまったということ
。
・ウザ
神様の箱への不敬虔な態度
・オベテ・エドム
誰も受け入れようとしなかった神の箱を自分の家にむかえいれた。
神様への信仰と愛により、聖殿の中で神様に仕えるようになった。
 
結論
皆さんも神様を愛し、オベテ・エドムのような信仰の人になるように願う。
喜んで神様に仕え、だれもがはばかる十字架を負うものになろう。
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8月30日主日礼拝 Ⅱ列王記5:1-19  神様の方法

9/6/2020

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本文はアラムの将軍ナアマンの物語である。彼は国を救った大勇士であったが、らい病にかかったため、不幸な人であった。彼は癒され、幸せになり、神様の民となった。私たちの中にも彼のような人がいる。心がらい病にかかったからである。
その病気は癒されなければならない。
 
1. はしための伝言
ナアマンが動き始めたのは一人のはしための言葉の為である。幼い少女の一言で希望が見えて、期待が生じ、国と国を繋ぐことになった。一つの国が期待と希望を抱いた。言葉には想像をはるかに超える力、能力がある。そして言葉通り、ナアマンは癒され、彼らは最上の喜びで満たされた。
もし少女が福音を伝えなければナアマンは生涯不幸になったはずである。私たちはもっともっと驚くグッドニュースを持っている。イエス様が私の罪を十字架で処分されたこと、私を死と滅びから救われ、偉大な神様(が)私と共にいて助け、導いてくださる。
罪から許される喜びは一番素晴らしい喜びである。
福音を伝えるときに想像をこえるはるかな事が生じる。ナアマンが癒され救われ、家庭が、周りの人々が救われた。そして神様のみなが高められ、神様に栄光を返した。イエス様の福音は最も大切で尊いものである。私たちも伝えよう。
2. 神様の方法
小さいはしための言葉でアラムの国は希望と期待に満ちたが、イスラエル王は絶望した。彼は神の民であって、その地には神の予言者がいる。彼の告白:神様は死んだ人を活かす不可能な事を行う神様である。彼は神様が癒すと信じなければならない。しかしなぜ信仰者は絶望するのか?
自分がしなければならないと思うから絶望する。彼はただ、神の人に行かせたらいい。絶望する人は神をみないで、自分の能力をみる。そしてすべてをあきらめようとする。
しかしヤコブのように神様が答えないと手を離さないと祈ってみたのか?
私たちにもこのような信仰が必要である。
本当に祈るならばこたえてくださる。
不信仰の流れを反転させたのがエリシャである。
エリシャの行動はナアマンの考えと違った。僕を遣わして、ヨルダン川に行って身を洗いなさいとめいじた。ナアマンは怒り、爆発した。ナアマンはらい病以上の病気を持っていた。ナアマンは大切なことを忘れていた。ナアマンは人間エリシャにではなく全能なる神様にきている。
ナアマンは神様の前で靴を脱いで、ひざまずいて神様を拝まなければならない。人の心が高慢になると人は愚かになる。彼はただ哀れみを求めるべき罪人である。
人が憤ると大切なことを失う。
ナアマンはエリシャが病気を癒す約束を全く考えないで、ガンガン怒り、帰ろうとした。信仰者が試みにあう理由は自分の考えと違うからである。
これが心の病、心のらい病である。自分を神の上に置く高慢である。
神様の前で心を低くするものが恵まれる。
僕を遣わした方法は神様の方法である。エリシャの方法でやったのだからナアマンは癒される。ナアマンの方法であれば、神様にあうことも直されることもない。なぜ7回なのか?神様の数字である。従順する心を見ることができるのが神様の数字7かいである。そして従順するときに癒された。
 
3.信じる者の決断
神様の恵みは人を変える力がある。ナアマンはエリシャに自分が僕だという。恵みは人を謙遜にする。恵まれた人は信仰の決断をする。ただ神様に仕える。神様を礼拝する。御言葉に従順する、神様の栄光のために生きる。決断するときに神様が助ける。
結論
私たちも福音を伝えるときに私を通して人々が祝福される。
神様の恵みを受ける道は低くなって謙遜になること。今日謙遜になり、信仰の決断をしよう。
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「Ⅱサムエル記6:1-11 オべテ エドム」姜 讃馨師

9/6/2020

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序論
本文には契約の箱についてかかれている契約の箱は神様がおられるところであり、神ご自身を記している。神の箱とも呼ばれている。
オベテ・エドムは神の箱に3か月しか仕えてなかったが、神様の祝福を受けた。
 
本論
1. 神の箱
・神の箱は神殿の中で最も聖いところ――至聖所に置かれてる
・イエス様の御血潮により、私達はすでに至聖所に入ってる
すなわち、この礼拝が神様に出会うほうほうであり、神様の御声を聴く時間である
・すべての礼拝と行事の先に神様を迎えなければならない
聖徒として先に神様を心の中に受け入れなければならい
・神様の臨在がない礼拝、神様を受け入れない心には恵みも臨まない
2. 神の箱に仕えた人たち
・アビナダブ――20年間仕えたが、何の祝福も受けなかった
ウザ――神様に仕えたが、命を失ってしまった
オベテ・エドム――神の民ではないにもかかわらずその子孫まで祝福された
・契約の箱に対する人の態度によって、結果も異なる
3. 神様に仕える態度
・アビナダブ
最初は神様を愛してたが、だんだん冷めてしまい、形式的になった
信仰、愛が変質してしまったということ
・ウザ
神様の箱への不敬虔な態度
・オベテ・エドム
誰も受け入れようとしなかった神の箱を自分の家にむかえいれた
神様への信仰と愛により、聖殿の中で神様に仕えるようになった
 
結論
皆さんも神様を愛し、オベテ・エドムのような信仰の人になるように願う。
喜んで神様に仕え、だれもがはばかる十字架を負うものになろう。
私も十字架を負うと、今日決断しよう。
真心で神様を愛し、仕える者になり、神様の無限な愛と祝福を受けますように
 
学びと決心
 
1. どんな状況の中でも先に神様を心の中に受け入れよう
2. 神様への態度、奉仕への礼儀を正そう。
3. 自ら十字架を負うものになろう
4.信仰と愛が冷めないように、形式的に、習慣的にならないように常に気を付けよう。
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