序論
仮庵の祭りとは、ユダヤ三大祭りの一つで、ユダヤ人たちは荒野での生活を記念し、約束の地カナンを目指し、神と共に歩んだ日々を思い出す為、木の枝で作った仮小屋に住んだそうです。 今日は仮庵の祭りを通して学びます。 本論 1 祭りは喜びである 主に感謝を捧げ、捧げものを捧げ、喜ぶ祭りは現代の礼拝です。 私たちは祭りである礼拝を喜んで捧げ、御言葉に従って捧げましょう。 ①収穫の喜び 仮庵の祭りは主の救いの御業を覚えると同時に、現在与えられている恵み、喜びを感謝する祭りでもあります。 恵み、喜び、感謝はクリスチャンが常に持っているはずのものです。 しかし、常に持っているのではないですね。 喜べない、感謝できない時、そんな時に今までの神の恵みを覚えることです。 荒野の中で見るべきものは苦難ではなく、神と神の恵みです。 神の恵みは私たちにとって、溢れる収穫、喜びの収穫。 感謝と喜びを持って神に礼拝を捧げましょう。 ②平等の喜び(14) 祭りの喜びは平等に全ての人に与えられています。 弱者、身分の低い人、寂しく貧しい人、気にかけられない人・・・ 教会の中で寂しい人はいないか?私が手を差し伸べるべき人はいないか?全ての人が共に喜べるように、恵みを分かち合い、助け合う教会であるように。 2祭りの行い方(15) ①主の為に 収穫の恵み、祝福を与えてくださった神の為に礼拝します。 全ての祭り(礼拝)は神に栄光を返す事、神を褒め称える事。 礼拝は主に捧げる物です。 ②主の選ぶ場所で 神に捧げる祭り(礼拝)は教会です。これからも礼拝に共に集えるように祈り、努めましょう。 ③7日間 7は聖書では完全数です。 礼拝を最後まで守ること。この地で生きる限り神に礼拝を捧げましょう。 3 祭りの祝福(15後半) あなたの神が、あなたの全ての収穫、手のすべての業を祝福される。神のルールに従うならば、この約束は神が成就してくださる。詩編81:8~10 結論 荒野の生活は喜び感謝が難しいことがあります。 しかし、現在与えられた恵みを一つ一つ数えてみてください。 この1年の恵みを主に感謝しましょう(13)。神は礼拝を捧げる者に更に祝福を与えたい(15) み言葉の通りに神が与えてくださった祝福に応じて捧げものを持って神に心からの祭りを捧げにきた皆さんの上に、神の約束通り全ての収穫と全ての手の業が祝されますことを信じます。
0 コメント
聖書:マタイ13:1-9
20.11.15 序論 種:神様の御言葉/畑:人の心/種を撒く人:神の御言葉を伝えるメッセンジャー 畑の状態によって結果が違う すなわち、神様の御言葉をどのように受け入れるかによって結果が違う 本論 1. 四つの結果 (1)奪われる者 ・御言葉を聞きながら悟らない場合、御言葉、救い、命、祝福、天国を奪われる ・理由:心が硬くて、頑固、心を開かないから ・御言葉を拒否する時――悪魔にとられ、救われなくなる (2)倒れる者 ・信仰の根を深くおろしてない―― 御言葉を聞いて信じるが、信仰の為に迫害が来ると倒れてしまう ・理由:御言葉より自分の考えに頼る 神様の御言葉が人格の中に深く根をおろしてない ・神様の御言葉は人生の光、命―― 自分の考えと違う時、御言葉に従わなけらばならない (3)実を結べない者 ・御言葉が信仰に入ったのに、実が結べない ・特長:優柔不断、決断できない ・理由:世の心使いと富の惑わし ・信仰とは神様を信じ、神様がすべての事に責任を取ってくれると信じる 信仰の道を歩むためには他の道をあきらめなければならない ただ神様の御言葉だけを信じると決断しよう (4)実を結ぶ者 ・御言葉を悟る者、 ・御言葉に従順し、信じて忍耐し続けるから ・神様の御言葉が人格の中、生活の中に深く根を下ろしている 恵みによって実が結べる 2. 問題解決方法 (1)奪われる者はどうすべきか ・神様は霊である、しかし悪魔が信じないように妨害、誘惑してる ・疑うだけでなく、一度祈ってみよう 神様がその祈りを真摯に聞かれ、答えてくださる ・また、救いには導き手のとりなしの祈りが大事 (2)倒れる者はどうすべきか ・信仰が成長できない理由: 心中に硬い物(自分の考え、世を愛する心、罪等)があるから まず、心の中の硬い物を捨て、悔い改めよう ・心の中に不信仰がある時に倒れてしまう だから罪、不信仰を根こそぎから抜かなければならい ・今やるべき事――祈り:罪を思い出せるように、罪を悔い改めるように (3)実を結べない者はどうすべきか ・外観は他のものと同じだが、周りの雑草に押され、実が結べない ・信仰と世の中の間で葛藤:信仰(天国)も、世の欲望もあきらめられない ・信仰の目的:実を結ぶ事 御言葉に従順する時に必ず良い実が結べる 神様を信じ、自分の人生、すべてを神様に委ねよう (4)実を結んだ者がすべきこと ・毎年実を結ぶためには枝を選定しなければならない 木をきれいにすると来年も実が実れる ・信仰者は目覚めて、御言葉と祈りで自分を管理しなければならない ・信仰は戦いである より多くの実を結ぶため、目覚めて信仰の努力をしなけらばならない 結論 どんな事があっても信仰を奪われてはいけない 礼拝、祈り、奉仕の時間も奪われてはいけない また、苦難に会った時、神様の中に入ろう 苦難の中で自分を鍛え、よりたくさんの実を結ぼう 皆さんが100倍の実が結べるよう主の御名によって祝福する 学びと決心 1. 神様を疑うのではなく、心を開いて神様を信じよう 2. 心の中の硬いものを捨て、信仰の根を深くおろそう 3. 天国の道の為に、世の欲望を捨てよう 4. 常に目覚めて御言葉と祈りで自分を管理しよう 5. 信仰の為に常に努力しよう 2020年11月8日 白い衣 黙示録3:1-6
私たちの霊も衣を着る。白い衣とは罪が許され、聖なる者となることを意味する。 教会(に)通うからではなく、イエス様を救い主と信じるときに義の衣、救いの衣を着る。 1. 白い衣を着た者 (1) イエス様 マタイ17;2-御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。 罪人の救いのためにすべての栄光を捨てて地上に来た。 (2) 天国に入った聖徒たちが白い衣を着る。 信仰を守り切って御国に入った先輩、信仰者たちが天国で合唱している。 (3) 救われた地上の聖徒たち 4- 白い衣を着てわたしと共に歩む 「御言葉によって聖なる者となった聖徒」「信仰が堕落してない聖徒」 主と交わり、主の御声を聞き、主の導きを受ける者 誰も知らないが、神様は「彼らを知り」「彼らを通して」働いてくださる。 2.教会にいる別の人 ①神様が着せてくださった白い衣が汚された人。罪に妥協した人、この世を愛するひと。信仰生活を疎かにする人々。霊的な衣がけがれてしまった。 ②罪を悔い改めなくて霊的な衣をぬがされた人。 例:不従順して罪を犯したアダム 皆さんの状況はどうですか? 神様はあなたの裸の恥を表さないために着る白い衣を買いなさいと言う。罪を悔い改めて、神様に立ち返りなさいと話される。 3.誰に白い衣を着せてくださるのか? (1) イエス様を信じる者 信仰とは1.イエス様の身代わりの死と復活を信じる (2) 勝利を得る者 信仰は悪魔との戦い 悪魔に負けた人、悪魔に妥協したものは霊的な衣、白い衣着ることができない。. イエス様を信じ大胆に戦い勝利しよう。 信仰をもって熱心に礼拝し、讃美し、祈る時に勝利する。 (3) 罪を悔い改めた者 罪を犯さないではなく、罪を悔い改めるときに最上の着物を着せてくださる。神様は私たちの愚かさ、弱さ、誘惑を受けやすいことを知っている。聖なる者となれば聖霊に従って生きよう。 4.霊の衣、白い衣を守ろう。 「富んでいるし、豊かになったし、乏しいものは何もなかった。」 しかし神様は、惨めで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の状態といった。 最悪の霊的状況。終わりの時代を生きる私たちの姿ではないのか? 豊かになって、肉が強くなり、自分の考えで満たしているのである。 しかし、人々は豊かになると信仰も強くなったと考える。 笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった 弔いの歌を歌ったのに、胸を打ってくれなかった 私たちの状況。豊かになれば、御言葉を真実に受け入れない。 神様のことに無関心、教会のことを他の人の事として思う。 この衣は命の代価を払って着せた衣であり、イエス様の血潮で洗われた衣だ。 だから聖なる衣を守ろう。目覚めよう。 黙示録16:15 目覚めてイエス様の再臨を迎えよう。 結論 イエス様を信じて生まれ変わった者に霊的な衣を着せる。衣は汚れて(ぬ)(が)(さ)(れ)(る)ことがある。自分を点検し、罪を悔い改め、清められるように祈ろう。そして信仰をもって、罪と戦い、勝利し、御言葉によって生きよう。 序論 神様が測られるには様々な理由がある。 裁かれるため、救うため、祝福されるため。 神様を信じる聖徒が用いられるにふさわしいかどうか、祝福される器であるかどうかを測られる 本論 1. 人の品格、資格を測る ・神の基準――神様の御言葉 ・神様はこの基準でベルシャザルを測られ、怒りを表した。 国と民の命をおろそかにし、聖い器で酒を飲み、偶像を崇拝 神様を冒涜、人間としてやってはいけないことをしたため、 ・神様が測るにふさわしくない時――罪を問われる 罪を悔い改めない、神様に謙遜でない時 ・神様は私達をも測られる だから神の基準である御言葉に従順しよう 2. 霊の領域を測る ・神様は私達が霊的であることを望んでる ・霊の領域を測る目的:霊と肉を区別するため 霊と肉は一つになっていけない:肉はこの世を目指し、霊は天を目指す ・神様は霊的人、肉的人を区別される 基準:十字架の中にいるか、それとも十字架の外にいるか ・救われる霊的人になるために努力しよう この世ではなく、天に希望を置こう 3. 信仰を測る ・聖所の中に入った人:天にけいきょ(携挙) される 聖所は神が臨在するところ、祭壇はイエスの十字架を象徴 彼らは神を愛する信仰の人、十字架を背負い、イエスについて行く霊的人 ・聖殿の庭にいる人:地上に残される 信仰と世の中の境界線で二股をかけて信仰生活をしている人 十字架を背負ったこと、真の礼拝を捧げたことのない 自分だけの為に生きる人 ・積極的に神を探し求め、神の恵みの中に入ろう 生ぬるい信仰を悔い改め、神様を愛する信仰の人になろう 結論 神様は私達の信仰、人格、行動を測られる。 私達を用いるため、祝福するため。 神の基準に相応しい者になれるよう努力しよう。 礼拝を大切にし、御言葉と祈りに励もう。 皆さんが祝福の器になれるよう、主の御名によって祝福する。 学びと決心 1. 神様の基準である御言葉に従順し、謙遜な人になろう 2. 霊と肉を区別し、霊的信仰者になろう 3. 常に自分の十字架を背負い、十字架の中で信仰生活を送ろう 4. この世を愛する心を捨て、神を愛そう 5. 生ぬるい信仰をやめ、真の礼拝を捧げる霊的信仰者になろう 序論
今日の聖書箇所は、岩が裂けて水が湧き出したところ。 この劇的感動的な場面の直前に、イスラエルの民たちは大騒ぎをしていた。 モーセに「水をくれ!」と叫び怒り、モーセを石で撃ち殺そうとしていた。(3~4節)。 何故こんなに殺そうとするまでモーセに迫ったのか? 理由は7節 「主はおられるのか?本当に私達の内におられるのか?」 神が本当に私達を導いているのか?こんな何もない所で! 水もない!死んでしまう!とここから「争う、試みる、つぶやく」ことについて考えてみよう。 本論 1 争う、試みる、つぶやく 「争う」(2節) ヘブル語の原語では「争う」とは、指導者を拒否する行為を意味する・・・・ ダビデもイエスもパウロも受けてきた行為 争いは殺人に発展する。・・・言葉、暴力、態度で人を傷つけ心を殺してしまう罪である 「試みる」(2,7節) 神が人を試みる場合と、人が神を試みる場合がある。 神が人を試みる場合・・・主権者である神が、自由意思を持った人の真実と信仰を見るため 人が神を試みる・・・してはいけない(申命記6:16、マタイ4:7) 神を試みることは、主または保護者と仰ぐ方(神)の真実を疑う事…重大な不信仰の道 唯一試みていいのは10分の一献金(マラキ3:10) あなたを愛し、救い、神を信じて幸せに導く神。 常にあなたの内に住み、正しく導き、祝福を与えたい神。 この神に出会わなければ、信じなければ、天国へ行けない。 神に出会うことを求め、神に出会い信じてください。 2 自分の岩を砕く 神に出会う為には、自分の岩が砕かれていなければならない。 自分の岩はなんですか?抱えている問題、悩み、譲りたくない自我、隠れた罪・・・ 神がその岩の上に立っておられる(6節) 神が助けてくださる!!杖でたたきなさい! 砕かれてないから喜びがない、平安がない、感謝もない。 主よ、私の問題、悩み。つぶやき、争う、神を疑う自分自身を砕いてください!砕かれなければ前進できないし、周りを悪い影響で巻き込んでしまう。 3 岩はイエスご自身 岩はイエスご自身でもある。(1コリント10:4) イエス様がまず砕かれた。私を救うために十字架で、ご自身を裂いて聖霊の水を、命の水を、乾くことのない水を与えてくださった。(ヨハネ7:37~38) 主ご自身が全ての罪とがを背負い十字架で砕かれた。 結論 ご自身を十字架で砕き、私を救ってくださったイエスキリスト。 私の自我、欲、高慢・・・様々な塊の岩を砕いてくださる方。 主の前に出て、主に倣い砕かれた新しい人となり、イエスに似た人となるように。どんな時、どんな所でも私の内におられる神を覚え、砕かれるべきものを砕いていただき、イエスと共に歩む人でありますように。 |