祈りがやめられない

牧師コラム

工藤弘雄師

協力牧師

祈りがやめられない

祈りがやめられない

大の仲良しであった次兄が召されて早くも七年になります。次兄と私は五つ違いですが、とても仲の良い兄弟でした。さらに長兄は私よりも十八歳も年上でした。三人ともクリスチャンでしたから、会えば信仰のことや教会のことを話し、祈り合ったことです。
私が献身し、牧師になりましたので、兄たちも、さらに三人の姉たちも私や家族の者たちを大事にし、またさまざまな面で助けてくれました。早くに父が召されましたので、クリスチャンの母を中心にみんなで祈り合い、助け合い、時には大人数で楽しい会食をしては喜び楽しんだことです。
その次兄が、彼の召される少し前、私が郷里の信州に帰ったとき、「弘雄、オレに悩みがあるんだけどな」と言うのです。私は、驚いて、「ええ?なんの悩みなの?」と聞くと、「祈りが止められないんだよな」と言うのです。兄は祷告名簿を作り、家族、親族、教会、神学校、近所の方々、お付き合いをしている人々、病気の人、試練にあっている人、世界の福祉、平和・・・・など祈っていたようです。
祈りを途中で止めると祈れなかった人に申し訳ないという思いもあり、一日に二時間、三時間も祈っていたようです。ですから彼の悩みは「祈りが止められない」と言うことでした。
私は、祈りの項目を曜日に分けて祈る方法もあることなど助言をしましたが、どうやら召されるまで、自分のやり方で祈り続けたようです。
私たち夫婦も次兄ほどではありませんが、できる限り毎日、時を定めて二人で集中して祈りの時を持っています。むろん、小さな足らない祈りですが、京都や東京の宣教教会の牧師先生や皆さんの一人ひとりのお顔を思い浮かべて祈っています。そして祈りが聞かれることを体験し、主に感謝を献げています。
地上にはいろいろな悩みがありますが、「祈りが止められない悩み」ほど幸いな悩みはありません。この幸いな悩みを私たちも共有しようではありませんか。

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