東京宣教教会歴史1

牧師コラム

姜 讃馨師

担任牧師

東京宣教教会歴史1

まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。―『ヨハネの福音書12:24 』

1、2014.4~2016.2 関東礼拝・家庭礼拝
(千葉県千葉市中央区末広町3-16-14レオパレスセレス末広104号)

2013年4月、4人の姉妹が看護師として日本で働くために、中国から京都に来ました。京都で日本語学校に通っていた1年間の中で、京都宣教教会に導かれ、イエス様を信じ、洗礼を受けました。2014年4月に首都圏の病院での就職が決まり、出発の前に、牧師先生が4人の姉妹を集めて、こうお話しをして下さいました。『何年か前から東京で教会を建てるためにずっと神様に祈ってきました。今回姉妹達が首都圏で就職することを聞いたとたん、心が熱くなってきました。神様の導きだと信じます。月に一度に行って、メッセージを語りますから、愛する皆さん、協力してもらえませんか。』と。そこでヨハネの福音書12章24節の御言葉を開いてくださいました。4人の姉妹が素直な心で従順しました。その中で、ある姉妹が神様から示され、心に感動を受けて、病院から借りた部屋を礼拝堂として主に捧げました。先生は労を惜しまずに、約束通りに月1回に関東礼拝に来られメッセージを語ってくださり、午後聖書勉強をしてくださいました。大変な異国職場生活の中で、日本語や人間関係の問題などいろいろあって、涙いっぱいの日々でした。あの時、関東礼拝が待ち遠しくて、神様からの愛と恵みが先生を通してずっとみんなに注がれていました。先生が来られ時以外も、みんなができる限り集まって、主日礼拝を捧げました。携帯で京都と繋がっていたので、電波が不安定で礼拝が途切れたことが多かったんですが、姉妹達は切に神様の恵みを求めていました。
2015年4月、2人の看護師姉妹が京都から来られ、新しい風が吹いてきました。とても純粋で熱心な姉妹達で、6人がお互いに支え合い、一緒に信仰生活に励みました。

2、2016.3~2016.5 日本語学校の教室を借りて礼拝
(日暮里DBC日本語学校。東京都荒川区西日暮里2-52ー10)

部屋を捧げた姉妹が体調不良で、病院で働くことが難しくなり、やむを得ず京都に戻ることになりました。それに伴い、礼拝を捧げる場所も探さざるを得なくなりました。その中で、神様が牧師先生を通して、道を備えてくださいました。牧師先生が韓国人宣教師からの紹介で、日本語学校の校長先生から教室を借りました。日曜日午前10時から午後4時までしか使用することができなくて、礼拝を捧げるためにみんなが毎回パソコンやプロジェクターなどの機械を教室まで運びました。2ヶ月という短い期間でしたが、日本語学校での伝道に励みました。チラシを配るだけでしたが、確実に大きな一歩を踏み出しました。その時に、京都から3人の看護師姉妹も来られ、ほかに新しい魂も来ていました。

3、2016.6~2018.9 東京宣教教会設立
(新宿区西早稲田1ー16ー20久保ビル3階)

2016年6月に早稲田大学付近に移転し、本格的な礼拝堂が与えられました。神様の恵みゆえに、大きなスクリーンで礼拝を捧げることができるようになりました。主日礼拝をはじめ、水曜礼拝も徐々に安定してきました。日曜日午後の交わりもありました。また、新しい看護師姉妹が2017年に2人増えて、京都から兄弟の聖徒も3人来ました。教会に仕える意識もどんどん強まり、12人のリーダーが任命されました。開所当時京都からの宣教チームが来たおかげで、日曜日以外たった一回の休みでも、みんなが伝道に励みました。その中で、伝道・養育の実が結ばれて、4人の兄弟姉妹達が洗礼を受けました。

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