救霊の涙

牧師コラム

工藤弘雄師

協力牧師

救霊の涙

今から60年以上も前の1961年5月のことです。東京都体育館を会場に東京クリスチャン・クルセードという大伝道集会が開かれていました。
メイン・スピーカーはワールドヴィジョン総裁のボッブ・ピアス博士でした。指揮者ラリフ・カーマイケルによるオーケストラの素晴らしいハーモニー、マリンバ王ジャック・カーナーの名演奏、ノーマン・ネルソンが歌う「丘に立てる荒削りの十字架」のしみわたるテノール、黒人ゴスペル歌手、ジミー・マクドナルドの躍動的なエリコ陥落の歌、若き日のカマレーソン牧師の「罪は緋のごとく赤くあるとも」の厳かなバリトンなど、今も私の心にまざまざと響いています。
その前年、大学二年生の秋、私は明確な新生体験をしました。そしてクルセードではカウンセラーとして奉仕をしていました。会場には数千人の聴衆がいました。ノン・クリスチャンの人々の中で音楽だけを聴いて会場を後にする者たちもいました。
説教者のピアス博士は明快なメッセージを語り、最後にキリストの救いへ、招きを始めました。会場の中から百人、二百人と前に進み出ていきます。カウンセラーの私も前に進み出ました。博士の目は「悲しみの目」でした。
「カムオン」と呼び掛ける博士の青く潤んだ瞳から、筋二筋の涙が頬を伝って落ちてきました。それは滅び行く人々に向かっての「救霊の涙」でした。
その晩、私は伝道者への決断を迫られました。救生涯、霊の涙!関西聖書神学校の沢村五郎校長は、この涙を流し続けました。愛の温度の一度もない、一滴の慰めもない、一掬の希望の光もない、永遠の滅びに向かう者への救霊の涙こそ、私たち宣教教会に属する者の涙ではないでしょうか。

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