牧師コラム
問われる本物
先のリーダー修練会でお話ししましたが、私たちは本物のクリスチャンかどうかが常に問われています。昭和の歌姫と言われた美空ひばりさんにこんな逸話が残っています。
ある夜ひばりさんは急の所用があり、普段着のままタクシーで知人宅を訪ねました。知人宅の前でタクシーから降りようとしたとき、財布を忘れてきたことに気がつき、運転手さんに、「すみません、急いで出てしまって財布を忘れてしまいました。知人宅でお金を借りてすぐお支払いしますのでお待ちください」と言ったところ、「ダメだね。その手で何回逃げられたか分からない」と言って聞いてくれません。とうとうひばりさんは、「私、美空ひばりです」と打ち明けても、「冗談もほどほどにしてよ」と頑として首を縦に振りません。それでもひばりさんは、「私、ウソをついていません。本物のひばりです」と必死に訴えると運転手さんは、「じゃあ、本物だったら『リンゴ追分』歌ってごらん」と言うのです。そこでひばりさんはどのステージで歌うよりも心を込め「リンゴ追分」を歌いました。しばらく聞き入っていた運転手さんは、「ええっ、あなたは、本物のひばりさんだ。タッ、タクシー代など、とっ、とんでもない」と興奮冷めやらぬ思いで去って行ったとのことです。
私たちは、常に本物のクリスチャンかどうか問われています。昔、香登教会の信者さんは、村の人々から、「わしらは、毎日キリストさんを見ています」と言われたそうです。本物のクリスチャンかどうか。その「証明」こそが福音宣教の決め手と言えるでしょう。