牧師コラム
もみじ
秋の代表的な紅葉は「もみじ」だ。
そのもみじの花言葉は「心配」だ。
もみじが赤いように、心配する顔と心が赤くなるからそう付けたのかも知れない。
心配は信仰者が警戒しなければならない思いの中の一つだ。
イエス様はマタイ6章で心配の無用を語っておられる。
「あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか」
(マタイ6:27)
使徒ペテロは心配についてこう語る。
「神はあなたがたを顧みていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神に委ねるがよい」
(1ペテロ5:7)
だから、私達はあらゆる事の心配、思い煩いを神に委ねることを学ぼう!
しかし、問題が生じた時に、心配ではなく、苦悩する事は必要だ。
問題の原因や本質を見抜かないと、
人生の改善や進歩はないからだ。
エマーソンは苦悩についてこう語る。
「苦悩なしに精神的成長はあり得ないし、人生の向上も不可能だ。
苦悩は生活において必要不可欠の有益な存在だ」
要らない苦悩ではなく、問題の原因を深く考え、それを通して語られる神様の御声を聴くことは、何にもまさる恵みである。
苦悩、或いは思索を通して得る有益について箴言はこう語る。
「 私はこれを見て心をとどめ、 これを見て教訓を得た。」(箴言24:32)
だから、問題に会った時、ただ悲しんだり心配するのではなく、考えよう。さらに祈ろう。神様の御声を聴こう。
その苦悩、思索が自分を成長させてくれる。