感謝の号泣の祈り

牧師コラム

工藤弘雄師

協力牧師

感謝の号泣の祈り

 私の母は祈り母でした。また教会を愛する母でした。私の家はしばらく教会として用いられました。ある日、突然、私の家の前に看板が掛けられ、教会案内が立てられました。まだ私がはっきりと主イエス様の救いの恵みにあずかっていない頃でしたので、そのことは私にとって苦痛以外の何ものでもありませんでした。
やがて「家の教会」にだんだん人が集るようになり、教会堂が求められるようになりました。会堂を切に祈り求めていた母は、自分の家を教会に献げ、自分たちが他のところに出て行くことが教会にとって最善の道だと示されました。
やがてその家の教会は改装され、名実ともに日本イエス・キリスト教団岡谷教会となり、牧師先生も住み込み、宗教法人格も取得できるようになりました。
ところがある夜のことです。激しく半鍾が鳴り響き、火事が発生したことを知らせました。消防自動車が一斉に教会の方向に走っていきます。周囲も「火事だ!火事だ!」と大騒ぎです。家の者たちも心配して教会の方に走り出します。母は家でじっと連絡を待ちながら祈っています。そこへ電話が入りました。「今、教会が燃えています!」すると母はすかさず尋ねました。「火元はどこなの?!」「隣の工場からです!類焼です!」
それを聞くや否や、母は玄関の上がり口に平伏し、背中を震わせ、号泣し、「神様、感謝します!教会は必ず再建できます!」と感謝の祈りを献げました。
そのころ家内は長男の出産のため岡谷に帰っていました。その一部始終を見ていた家内は、「なんと教会を愛しているのだろうか」と激しく感動しました。
「あなたの家を思う熱心」と詩篇69編9節にありますが、私たちにもこのような主の家を思う熱心があるでしょうか。全焼の岡谷教会は、多くの方々に祈られ、献金も寄せられ、新会堂が建てられ、建築中に救いに導かれる夫婦も起こされ、母の「感謝の号泣の祈り」は答えられ、教会は再建したのです。ハレルヤ!

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